自分にはできなかった。動けないまま、唖然と二人の姿が重なるのを見ていた。
無様だった。
「言わせてやる」
嫉妬を滾らせる聡の姿に虚しさを感じる。
あの写真は、自慢できるようなものではない。聡に対して優越など微塵も感じない。
大きくため息をつく。
「今は言い争っている場合じゃないだろ」
「話を逸らすな」
「本当の事だ。それに」
胸の内に広がる羞恥のような屈辱のような息苦しさを悟られぬよう背を向け、肩越しで振り返る。
「こうやって言い争えば、犯人の思う壺というやつだ」
「何?」
「僕たちが啀み合えば、奴が悦ぶだけ」
「奴?」
「小童谷だよ」
「小童谷って、美鶴と同じクラスの? じゃあやっぱり噂は本当?」
小童谷や廿楽華恩が犯人ではないかという噂は、聡も聞いて知っている。
「お前、いったいあの男とどういう関係だ?」
小童谷陽翔と瑠駆真が徒ならぬ関係である事は、鈍い聡でも気づいている。だが瑠駆真はそんな聡に冷たい視線を投げるだけ。
「君には関係ないよ」
その声はとても静か。なのに聡はそれ以上問い詰める事ができなかった。それこそ無言の気迫とも言うべき雰囲気が漂う。
なんなんだよ?
聡は不満ながらもその場はそのまま口を閉じるしかなかった。
美鶴は動かしていた右手を止めた。そうしてやや時間差で視線を上げる。
「明後日?」
「そ。明後日ってイブだろ?」
「何か予定でもあるかなと思ってさ」
「予定があるか無いかなんて、なんでお前たちに言わなきゃらならないんだ?」
理由なんてわかっているのに、美鶴は敢えて冷たく答える。
彼らに優しい言葉なんて掛けてはいけない。無闇に期待なんて持たせてはいけない。
美鶴はあの日以来、自分にそう言い聞かせている。
興味なんてない。そう思わせなければならない。
だって本当に、本当に興味なんて無いんだから。
「お前たちには関係無いだろ?」
「大有り」
聡が長身を屈める。
「もし予定が無いんなら、俺たちと一緒に遊ばね?」
「は?」
美鶴の前に、チケットをヒラヒラさせる。
「何?」
「コンサートのチケット」
「コンサート?」
なんて不似合いな物を持っているのだ?
ポカンと口を開ける美鶴に憮然とする聡。
「なんだよ? 俺がコンサートに誘ったら悪いかよ」
「明日は吹雪だな」
「なにっ!」
噛み付きそうな勢いの聡を、瑠駆真が呆れたように押し留める。
「喧嘩するために来たんじゃないだろ?」
宥め、美鶴を見下ろす。
「コンサートって言っても大層なものじゃないよ。市民会館でハンドベルの市民コンサートがあるんだ。このチケットだって、別にプレミア物でも何でもない。本屋やそこらの店先のレジカウンターに山積みになってる割引券だよ」
「つまり、無料ってワケじゃないのね」
「入場料なんて300円だぜ」
押さえつけられていた聡の復活。
「それにさ、別に金なんて出してやるよ」
「別に300円でどうのこうのと言うつもりはないけれど」
聡の復活はあまり歓迎されてはいないらしい。
「せっかくのお誘いだけど、お断りします」
「何で?」
「何でって」
答えようとする瞳を、覗き込む瞳。
「何で?」
小さな瞳が真っ直ぐに見下ろしてくる。澄んでいて、真摯で、揺らぎのない二つの瞳。
何も避けず、何からも逃げず、何にも背かない。力強さと誠実さと、純粋さを備えた小さな瞳が見下ろしてくる。
美鶴は思わず息を吸った。
嘘をつけばいい。面倒だからと、別にハンドベルになど興味も無いと、そう突っぱねればいい。
そう言い聞かせるのに、なぜだか言葉が出ない。
「どうしたの?」
聡の後ろから別の瞳も問いかける。
円らで、黒々とした、麗しくて深くて魅力的な瞳。こちらの瞳も揺ぎ無い。
本当に想ってくれている瞳。こんなにも綺麗な瞳に、嘘をついてもいいのだろうか? もしバレた時、彼らはどう思うだろう?
なにより、そんな嘘をつくような心持で、霞流さんを振り向かせる事などできるのだろうか?
彼らの瞳を見返しながら必死に自分と格闘する。そうして、なぜだか震える唇を一度キュッと引き締め、引き剥がすように視線を反らせた。
「予定があるから」
なぜ嘘をつかない?
問いかけるもう一人の自分。
だって、嘘ついてもバレるし。
「嘘をつくならもっと判らないようについてくれっ!」
瑠駆真の声は、怒りをぶつけながらどこか悲痛で、寂しさも漂わせていた。
嘘なんて。
「予定?」
明らかに眉を寄せる聡を見ないように、美鶴はガラスの向こうの景色へ視線を移す。
「霞流さんの家に呼ばれてる」
「霞流っ!」
途端に殺気立つ聡。
「でも、霞流さんに誘われたワケじゃない」
早口で付け足す。
「霞流さんは、居ない。一緒じゃない」
「え? 何? それどういう事?」
訝しむ表情の瑠駆真を見上げ
「霞流さんは明後日、予定があって家には居ないって」
たぶん、あの夜に連れて行かれた繁華街の店みたいなところで、享楽的に過ごすのだろう。
幸田や木崎の言葉から、美鶴はそう判断した。
そう、美鶴はイブの夜を、幸田から誘われたのだ。
「あの家で働いている幸田さんって人から誘われて、あ、あと木崎さんにも」
「木崎って、あの霞流の付き人みたいな雰囲気のおっさんだよな」
九月。美鶴が澤村に連れ攫われて姿を消した時、聡は瑠駆真と霞流邸へ乗り込んだ。その時、霞流慎二と一緒に二人の話を聞いた男性が居た。ところどころ会話にも加わっていた。
「あのおっさんが美鶴を誘った? なんで?」
「せっかくのクリスマスなのに来客もなくって寂しいからって」
言いながら次第に口ごもる美鶴。
たぶん、本命は自分ではないのだろう。自分ではなくて、母の詩織。
「もしよろしければ、詩織様とご一緒にお越しになりません?」
はにかむような、でも決して卑屈な態度など見せずにサラリと誘われては、こちらとしても断るのは忍びない。
「お母さんに、聞いてみる」
「もしお越しくださるのでしたら、きっと今年は賑やかなイブになるのでしょうね」
横で呟く木崎の頬も和やか。驚いた事に、木崎は幸田の恋心を知っていたと言うのだ。
「いまどき、このような恋など珍しくもないでしょう」
年配者にしては、ずいぶんと物分りのよい男性だな。
言いたいのを我慢していると、木崎の方から口を開く。
「このような心持でなければ、慎二様にお遣えする事はできませんからね」
振り返ると、ニッコリと微笑む。同時に美鶴の脳裏には、妖艶な光景が浮かび上がる。気怠げな慎二と、その身に絡む艶かしい存在。男とも女とも区別のつかない、曖昧で不安定な存在。
少し胸が苦しくなるのを感じながら、美鶴は内心でポツリと呟いた。
この人は、私の気持ちを知っているのだろうか?
聞きたい衝動に駆られたが、聞いたところで何の得にもならないような気がして、辞めておいた。
霞流さんの素行については知っていて当たり前か。ひょっとしたら、智論さんから聞いた事情のほとんどについても、木崎さんは知っているのかもしれない。いや、当然知っているだろう。見たところ、霞流さんに一番近い人間のようだし。
この人は、霞流さんの事をどう思っているのだろう? ひょっとしたらこの人も、霞流さんを昔のように戻したいって、思っているのかもしれない。
だったら、ひょっとしたら私の味方になってくれるかも。
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